本日、実は、私の父の命日なんです。
父が他界してから28年の月日が過ぎました。
月並みではありますが 結構、父を 尊敬していたので
大学生だった私は かなりショックで、それなりに長い間、立ち直れなかった
記憶があります。
不思議なことに、映像的には父を思い出すのですが、父の声を
思い出そうとすると、なかなか上手くいかず、寂しくなることがあります。
なんか 自分の中では、父が、本当に”過去の人” 的な存在になったような気がして
やるせない気持ちになったりするのですが、結局は、父は過去の人でありますし
もう、話も聞けないわけで、ただの願望なのですが、自分が、迷ったとき、
結構、父だったら、何てアドバイスしてくれるだろうと考えてみたり、
生きてたら しかられるだろうな なんて考えて、勇気をもらったり、
励ましてもらったりと、自作自演ではありますが、父の偶像と時々会話しております。
ただ、実際の父と 腹を割って、大人の話をする前に、私の父は他界したので
今となっては、もう5~6年は 生きてて欲しかったなんて、都合の言い事を
考えたりするんですが、結局、私の中では、男同士というカテゴリーの父は存在せず
本当に 父親としての 父が多くを占めていて、父を思い出すと、いつも
『まったくお前は~~なんだから』などと しかられている自分を思い出すことが多くて
懐かしさの中に、ほんの少しの劣等感を感じずにはいられませんし、
まあ、家庭の事情もあって、父親と小さい頃から 接する時間が短かったので
厳格で、大黒柱としての 父親を 父も、演出しやすかったのかも知れませんね。
そうは言いながらも、普段のまじめさとは うって変わり、弱いくせに 酒飲みで
酒を飲むと、人格が変わって、たのしいおっさんに変身していたという
エポソードも多少は あって、けっこうやらかしちゃったこともありました。
私が記憶してるのは、酒を飲んだ挙句に、養豚業のお宅にお邪魔して、
豚小屋に行き、『 ほら、コンドル!、豚はこうやって乗るんだぞ』 なんて
豚に乗っちゃったり、 日光市の親戚の家に行って、酒を飲んだ挙句、
電車で帰るときに、『 各駅停車になんか乗れるか 』 と 鬼怒川に回送する
当時のデラックス列車にのって 各駅停車しか止まらない駅まで
帰ってきちゃったり、 年末調整が出たので、酒を飲んで帰るときに、
ペットショップの前を通ったら 『この犬が、買ってくれって鳴いてたんだよ』
なんて言って、年末調整をすべて使って 血統賞付きの 柴犬を買っきちゃったりと、
とても、今の私にすらマネ出来ない事を やってましたね。
ねえ、おとうさん・・・・・。
自分が寂しい思いをしたから、私は、自分では、父よりも 長生きして、自分の子供を
出来るだけ長く見守るよう、努力しようと思います。
そりゃあ父だって 死にたくて死んだ訳では無いんだろうけど、健康で長生きすれば、
もっともっと、楽しいことが出来たと思うし、そういう意味では 53歳で他界した父は
少しかわいそうだった様な気がします。
父が他界した年齢まで あと2年、そしてそれを何年上回れるか、これからの健康管理に
かかってくるんでしょうね。
皆さん、健康には、充分気をつけましょうね。
1 件のコメント:
私は父の命日には、花を贈っています。
亡父より、母が喜んでいますけどね・・・
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